「急性心筋梗塞」体験記

 

 

 
 

 

 

 

急性心筋梗塞(三大疾病の一つ)罹患の体験記です。

このようなことが実際に起こります。

読んで頂くことで疑似体験し、広く生活習慣病予防にも役立てて頂き、

末永く健やかな日々を過ごされることを願ってやみません。

 

 

 

 

 

 

2022年7月

 

元気お届け隊YAMASHOW

 代表 山地まさのり

 

目     次

 

 

第0章 体験者のプロフィールと発症以前の状況       3

 

第1章 発 症                             3

 

第2章 救 急                                    

 

第3章 心臓カテーテル治療                    5

 

第4章 入 院                             6

 

第5章 退 院                             7

 

第6章 退院後の経過                        9

 

第7章 影 響                             9

 

第8章 展 望                            11

 

第9章 補 足                            11

 

第10章 メッセージ                         12

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第0章 体験者のプロフィールと発症以前の状況

① プロフィール

・62歳 男性 166cm 72kg 35歳で禁煙。57歳で禁酒。

・2021年11月の総合健診結果 

 機能別判定  脂質・腎機能・尿酸で3カ月後再検査の必要性指摘有り

 総合指導   太り気味です。運動を続け、食事に注意して、減量してください。

           脂質異常症を認めます。LDLコレステロールが高めです。動物性

脂肪を控えてください。脂肪肝を認めます。腎機能は再検査が必要

です。高尿酸血症を認めます。

・同様の傾向が5年以上に亘り続いていたが、改善ができてなかった

 

  発症以前の状況

      50歳以降、日常生活でたくさん汗をかくような有酸素運動を行えていなかった。痛風発作で歩けなくなった経験が何度かあり、食事の質素化を気に掛けてはいたが、近年、旨みや辛味の濃い食べ物への嗜好がかなり強くなっていた。

      50歳まで勤務の殆どは本社事務であったが、51歳で支社事務、その後52歳から法人営業を行ってきた。現場における対応力に関してはベテランの自負を持って、自他を引っ張ってきたつもりであった。

      また、シニアナンバーワンを目指している会社の方向性に呼応して、名古屋勤務時代からは社会福祉に関する数多くの団体に知己を得て、休日に高齢者福祉施設等に学生時代の専門である医学保健学を活かしての健康体操やお楽しみギター歌謡をお届けする社会貢献ボランティア活動で好評を頂いてきた。コロナが落ち着きを見せ、再び、この活動へのご要請も増え始め、多忙なスケジュールで毎日を過ごす状態であった。

  

第1章 発 症

 宇都宮市の法人営業に5月16日から2週間の予定で出張し、2週目の火曜日24日の朝、ホテル10階の部屋から近くの支社研修室へ出勤しようと準備を終えた9時5分、背中深部にこれまでにない締め付けられる痛みを感じた。

 宇都宮には3年ぶりの募集出張であったが、2週間のうち第1週目の感触では、以前よりも即時の成約が難しくなっており、自分の経験を活かしてその場で完全な同意を得ても、後で周囲からひっくり返されてしまったりして、宇都宮に一緒に来ていた後輩方に仕事の具体的なお手本が見せてあげられないことに、これまでの自信が揺らぐ深いジレンマを感じていた。

 実はこれまでにもたまに背中が痛くなったことはあったが、柱に背中をドンとぶつければ治まったので、今回も部屋のバスルームの角に背中をぶつけてみたが、痛みというか締め付けは逆に強くなってきた。このままでは自分ではどうしようもなくなるかもしれない、その前に何とかしないと同時に宇都宮に来ている後輩方に迷惑をかけてしまうということが、強烈に意識に入ってきた。そこで、部屋から後輩のチームリーダーに電話で体の不調と救急車を呼んでもらうことを告げてから、部屋を出て1階までエレベーターで降り、9時10分にフロント女性に救急車を呼んでくださいと告げた。女性からは「5分で来ます。その椅子に掛けてお待ちください。」との答えがあった。

 本当に救急隊は5分で駆けつけてくれたのだが、この5分間で自分の苦しさは猛烈になった。フロント女性から椅子を勧められ、いや立ったままで待てると思ったが、すぐに背中が重く胸が苦しくなった。座ると汗がどっと出た。背中から巨大なもので押さえつけられた苦しみでテーブルに突っ伏してしまい、苦しみに耐えて必死に息を吸えども吸えども喉から奥の気管や肺の表面がサンドペーパーに変わってしまったようにザラザラと乾いた感じで酸素が体に入って来ない。苦しさと共に、自分は死につつあるという現実が頭を何度もよぎり、頭の中だけはぐるぐる回った。でも、もうこんなに苦しいのだったらもう意識がなくなってもいいや。そしたら楽になれる、もうそれでもいいや、と思った。

 

第2章 救 急

救急車のサイレンがホテル入口で止まり、救急隊員3人が私のところに来た。苦しいけれど、私に意識はあった。隊員の一人が、私の右手首に触れ、「けん脈なし。」といった瞬間、隊員さん達の動きが変わり、私はあっという間に身ぐるみ剥がされ、まずニトログリセリンと思われるスプレーを舌下に一吹きされ、車輪付きの担架に乗せられ、そのまま救急車に乗せられた。

その時、後輩の一人が出勤途中で通りがかり、突っ伏している私を見つけて、乗せられていく救急車に一緒に乗ってきてくれた。車内で言葉を交わしたことは、もう意識がなくなったほうがいいやと思いかけていた私をこの世に引き戻してくれたように思う。

救急車はホテルを出て10分後には栃木県救急救命センターに着き、私を心臓カテーテル治療室へ搬入してくれた。後から分かったが、私を乗せた救急車は緊急のコロナ対策を進めるため1年前に栃木県が全国に先駆けて導入した医師・看護士が予め乗って急患を迎えに来るドクターカーだったとのこと。車内で私の状況を心筋梗塞の可能性大と推定し、心臓カテーテル治療室への搬入が指示されていた。したがって、私がホテルフロントに不調を訴えてから約20分後には心臓治療の準備が整った処置室へ私は搬入された。今、何らの後遺症もなく回復しているのも、この迅速さによる。この地で発症したことは幸運だったのだが、こんな素晴らしい体制を整備してくれ、それを実現している人々に感謝しかない。

治療室に運び込まれてすぐ携帯電話のパスワードを聞かれた。今、家内に電話し誰かすぐに病院に来てもらう要請をするとのこと。治療途中での死がありうることを認識した。緊急なので、同意書等に担当医師が代筆署名することに同意を求められ、即同意した。病状や緊急処置後の対応について、家内が来たら説明すると告げられた。

 

第3章 心臓カテーテル治療

心臓カテーテル治療室での治療の間、局所麻酔だったので、ずっと意識があった。医療機器と技術の進歩を目の当たりにした。縦横2m×4m位のパネルに液晶モニターで8画面、私の心臓が映し出されていた。レントゲンは正面だけでなく胸の周り360度から撮影されていて立体的に私の心臓血管が映し出されていた。先生が見ている画面を自分も斜めからではあるが、一緒に見ながら治療が進むのには驚いた。

とはいえ、体は、左腕静脈に血管造影剤関係や採血関係の点滴三ケ所と手首動脈にカテーテル挿入一か所、右手首にもカテーテル挿入一か所で繋がれていて上半身は首以外動かせない。また治療中の心臓保護のために右足付け根の血管からワイヤ-が挿入されて右足も動かせないということで、全身ほぼ固定されていた。

麻酔と即効性のある薬の注入のせいか苦しみは和らいでいた。先生方の専門用語を聞きながら、画面を見ていたら、どんどん時間が過ぎた。ステントで血管を広げる処置をカテーテルワイヤーの先端を動かして行う。手首から差し込まれ心臓に達しているワイヤ-の先端を、私のすぐ横に立っている先生が私の太腿辺りで手指を動かして微妙な動きまで操作する。その動きが太腿から伝わってくるので何だか不思議な感覚であった。

最初の治療は2時間弱で一段落した。あの苦しみがうそのように消えていた。先生は「もう一か所心配なところがあるけれども、全部に一気に何か所もステントを入れるのもリスクがあるので、今日はここまでにしておきましょう。」と言った。「ありがとうございます。」と返事をした。そして、太腿の挿管で3日間は身動き禁止ということでICU(集中治療の病室)に運ばれた。

ところが、つい先ほどの苦しみがうそみたいに消えていたのは、わずかの間で、ICUへ運び込んでくれた看護士さんたちがいなくなった途端、再び激しい背中圧迫感と呼吸困難が再発した。もう一旦は安心してしまい気を抜いた後だったので、ショックが大きく、私は大声をあげた。看護士さん達が戻ってきた。「処置が終わったばかりで先生は処置室から自室に戻られたし、どうしましょうか?」と話し合っている。私は再び断末魔の叫び声を周囲をはばからずにあげた。「AEDを使って楽になるようにしようか?」といった話も聞こえていたけれども、結局、担当先生に連絡がついて指示を仰いだところ再処置となり、即時、カテーテル治療室に戻された。

「もう一か所も今、処置します。」といって先生は再び手首の動脈からカテーテルを挿入した。「心臓右側の背中側に回っていく血管に狭窄があります、自然に治っていくこともあるのですが、今すぐ治療が必要ですね。」とおっしゃった。処置に要した時間は2時間を超え、こちらのほうが最初の心臓左側血管の治療よりも位置的に難しかった。

「もう大丈夫ですよ。」と先生は言ってくれた。本当に今度こそ胸がスッキリした気がした。10時前から処置が始まり、終わったのは15時前、トータル5時間の治療であった。

   カテーテル治療室からICUに再び運び込まれると、家内と三人の息子が面会に来た。家内は千葉市、長男は横須賀市、次男は水戸市、三男は朝霞市から駆けつけてきていた。病院からの緊急連絡に応じてそれぞれ仕事を早退してきたとのこと、急性心筋梗塞では、治療が手遅れなら死ぬし、治療中にショックが起こって死ぬこともあるので家族が呼び出されると聞いて、「すぐ行かなければならない。」と思ったとのこと。みんな来てくれたのは、やっぱり嬉しかった。

 

第4章 入 院

カテーテル治療から丸三日間、右足太腿から挿管されていて身動きしてはいけないと指示された。これがとてもきつかった。寝返りも打てない。すべてはナースコールで看護士さんを呼ぶしかない。ICUでは携帯も使えず、ただ茫然と我が身の来し方行く末に思いを馳せるしかなかった。

三日して太腿の挿管が外れると、重病患者病室へ移った。この時、気づいた。この病院には医師以外にも大変多くのスタッフがいて、入れ替わり立ち代わり、私を看てくれる。その全員が、一人の例外もなく、優しい。めちゃくちゃに優しいのだ。それは、血圧測定等、治療に関わる世話だけでなく、動けない私の体を動かして楽にしてくれたり、体を拭いたり、おしっこの管の管理をする時の態度や言葉だけでもない。緊急で身ぐるみ剥がされて救急車に乗せられた際の私の持ち物、財布や手帳・時計から小さなネックレスまでもきれいに袋に入れられて保管してくれていたという救急隊の対応力。それに加えて、この中年の私が死にかけて三途の川近くまで行ってきたので、私の魂は興奮していた。お世話をしてくれたり、近づいてきた看護士や療法士、薬剤師、清掃のおばちゃんにまで、気が付くと私は、自分の体験や思いついたことを興奮にまかせてしゃべっていた。そんな私をうっとおしがったり、無視するような態度を誰一人せずに、話を聞いてくれる。そして、私の復活を応援するような理解ある質問や言葉を返してくれた。最初は分からなかったのだが、入院三日を経て、これこそ本当の優しさだと気付いた。スタッフは20歳台と思われる人も多い、若い世代の男女である。重病人への接し方の研修などを受けて育てられているのだろう。実際に私が生きる活力をすぐに取り戻せたのは、自分の話を一生懸命に聴いてくれたスタッフの優しさによる。でもこうしたことは、ちょっとした研修くらいで身に付くレベルではなく、宇都宮の土地柄もあると思う。緊急医療の素晴らしさ、それを担う人々の人間性の素晴らしさに、本当に心から宇都宮の人々に感謝した。

心臓自体は治療の取り掛かりがとても早かったのでダメージが小さかった。しかし、再発防止に向けては、悪玉コレステロール値低下のための薬など7種類の薬療法だけでなく、食生活改善が不可欠ということで、退院後も継続すべき食事の質と量を学んでくださいと告げられた。一日の量は1,600キロカロリーで、これは今回発症する前の私の食事の3分の1くらいであった。加えて、薬の服用がほぼ永久的になるので腎臓に負担がかかり確実に腎機能が更に低下する。その対応として塩分の制限1日6グラムまでとなった。これも辛いもの、旨いもの嗜好が強くなりすぎていた私には大きな変更となる。

ICUを出て病室に移ると1日2回のリハビリが始まった。ほんの軽い運動、10m歩行、30m歩行、階段1階分下り、階段1階分上りと2日ごとに進んでいく。もしかしてこんなこともできなくなっているのかと初日は心配になったが、全て簡単にクリアできて大丈夫だった。運動前後の心電図、血圧、血中酸素濃度も全て特に異状なく健全レベルであった。

 

第5章 退 院

「処置後の経過はとても良いですから、6月6日に再度、血管造影剤を入れてのカテーテル検査をして、異状なければ6月8日退院です。」と担当医の先生が言ってくれてとても嬉しかった。「あなたが行っている健康づくりの体操教室などは、むしろ自分の健康のためにも続けてください。」と言われて飛び上がらんばかりに嬉しかった。緊急入院の間に急きょお断りしてしまった教室が4か所あった。健康づくり講師が急性心筋梗塞で中止とはお粗末なのだが、どちらの生徒さんも教室事務局も心配してくれていた。またできますと言ったら喜んでもらえる。

今回、私を救ってくれて健康づくり講師を続けなさいと言ってくれた先生はまだ若い女医さん。最初しばらく看護士さんと間違えていた。思い返せば、自分の人生の岐路で助けてくれたのは殆どの場合、女性で、今回はまさに命の恩人、私は女性の活躍に心からの敬意を表したい。

予定通りに6月8日に退院の運びとなったが、病院事務局から「支払いは準備できていますか?」と問い合わせがあった。「カテーテル処置とICU使用と16日間の入院で自己負担額は約114万円になります。退院時にお支払いください、クレジットカードは使えます。」とのことだった。クレジットカードの限度額内なので大丈夫だったが、今回入院してすぐ、故郷香川にいる93歳の父が、ICUに入った私の入院は金がかかるから自分が香川から宇都宮まで金を持っていってやると長男に言ったのを思い出した。心臓ペースメーカーを入れている父が一人で新幹線に乗り宇都宮まで来ることもとても危険と思った長男は「その必要なし」と引き留めてくれたようだ。また、退院が決まって母と電話で話せたら、私が緊急搬送されたことを聞き、そのまま死んだなら自分も死のうと決め、その方法を考えていたと聞かされ、もうこれ以上の心配を親にかけてはいけないとの自責で、かなり心にこたえた。

家内が迎えに来てくれて千葉の自宅に帰った。2匹の老猫が久しぶりと迎えてくれて、まだこの世にいられる幸せを感じた。すぐに職場復帰と思っていたが、当然ながら会社への報告、産業医ご承認等が必要で数日の自宅療養の後、職場に復帰した。

1か月分の薬と近くの千葉大附属病院への紹介状をもらってきてはいたが、以前の日常に戻った。この3週間に自分に起きたことが信じられないと感じた。宇都宮の人々の優しさの他に自分を支えてくれたのは野球の大谷選手だった。テレビは見られず、スマホで経過を追うだけだったが、自分の入院16日間とエンゼルス14連敗はまさに時期が重なった。どんなに負け続けても、けなげに全力プレーをする彼から元気をもらった。もう一つは、安全地帯(玉置浩二)の歌「ひとりぼっちのエール」。歌詞が本当に心に沁みて、入院中の16日間に100回位聴いて覚えた。

 

「ひとりぼっちのエール」歌詞

  指の隙間抜けてこぼれ落ちたものは、砕けた悲しみのかけら

  両手で受け止めてそれでも落ちたものは、はかない喜びのため息

  心が痛んでも寒い夜はいつか終わる

 忘れないよ 新しい朝が光あふれ僕を待つ

  君のために流した涙の熱さが僕を支えてきたんだ。

  太陽に向かって祈ってきたものは、限りある命の美しさ

  嵐が吹き荒れて風は空を青く変える

  忘れないよ ささやかな部屋で遠くに見ていた夢を

  君のために叫んだ時間の長さが僕を強くした

  忘れないで 新しい朝が光あふれ君を待つ

  僕のために世界の片隅 泣いてる君は一人じゃないから

 

第6章 退院後の経過

5月24日の発症から40日、退院から1か月を経過したが、その間に再発の兆しなどは全くない。体調はすこぶる良く、体は発症前よりも軽い。悪玉コレステロールの吸収等も薬で抑えられているのだろう。

調べてみると、近年では急性心筋梗塞の予後はとても良くなっているとのことだ。心臓を守るため血液の質を改善する薬が手放せなくなったので、腎機能の悪化には徹底的に気を付けなければならず、贅沢や塩分はご法度になってしまった。

仕事もボランティア活動も滞りなく再開できた。行く先々で心配頂いた人々に後遺症ない回復を報告できて、とても嬉しかった。

 

第7章 影 響

今回の発病の影響を挙げる。

まず本人の認識としては、体は元通り回復のつもり。でも、以前のような強行スケジュールでの活動は少し心配。結局、心筋梗塞が起こりうる血液体質に陥っていたとしても急性の発作が起こるかどうかは、冠動脈壁のプラークが大きく剥がれて血管をふさいでしまう大きなストレスが加わったかどうかによる。自分のこの境界線は、移動・対人折衝・食事過多などが1週間以上連続するような場合と分かった。でも、また発作が起こりそうならすぐに気づいて対処できる自信はある。もし、他人が急性心筋梗塞の発作を起こした場合でも迅速に対処法をアドバイスできるだろう。自分の治療に関しては自宅近くの千葉大医学部付属病院にしばらく通い、何度かの検査で異常なければ、地場の開業医さんで定期的に体調を確認すれば良いそうだ。

次に家族の認識としては、私の急死がありうることを両親・家内・子供三人の全員が理解した。両親は絶対に自分たちよりも先に逝ってはならないと言った。母は、自分たちが死んだときにも口座凍結で使えなくなったりしないお金を用意しておきたいと言ってきた。家内は何も言わないが食事の改善にはしっかりと世話を焼いてくれている。子供三人のうちでは、次男が「この機会に父に伝えておきたい」と15歳で実家を出るまでの私の育て方が、「自分にとって自由がなく、つらかった。」と告白してきた。三兄弟を平等に育てたとの自信はあったが、次男を含む全員に経緯を説明し、これからの人生をそれぞれ自分の個性・特性を活かして生き抜いてほしいと伝えた。併せて、子供たちに残すために購入した不動産のことも伝えた。家族それぞれにとっても自分の今後を見渡す機会になったようであり、淡々と家族との対話をしたけれど、実は常に涙が溢れそうであった。

会社は、結局5月24日から6月10日までで14日間の傷病欠勤となった。まず、宇都宮での発症時に迷惑をかけた後輩達に謝った。経験豊富な先輩として引っ張るつもりだったが、逆になってしまった。後輩の一人には救急車に同乗までしてもらって恐縮至極。この宇都宮に来た6名のチームの仕事は私の脱落にも関わらず遂行できたとのことで良かった。市場環境は年々厳しさを増すが、それ以上に若手一人一人の戦力のアップを期待するしか業績伸長の決め手がない。復帰後、これまで年間4回予定されていた2週間の出張はしないことになった。ちょっと淋しいけれど、会社のお気遣いはありがたいことではある。

   SNSで自分の活動を社会に発信しており、毎日延べ2千人位の人が見てくれている。この緊急入院を掲載したところ300人位から反応があり、約50人から心配のコメントを頂いた。とてもありがたいと思った。

   ボランティア活動を再開して再び訪れることができた高齢者福祉施設では、どこでも私の体験談を皆様、一生懸命に聴いてくれる。そんな心配を頂くことがありがたく恐縮した。でも更によく聞くと、どこの施設でも私と同じ体験をした人が何人もいる。何だか自分も仲間入りしたような感じと共に、高齢者が集まればその経験の量と多様さは凄いということを実感した。

 家計への影響は、退院時の病院への支払いは約114万円、これは治療費・入院費などの総合計。クレジットカードで支払った。本人3割負担なので会社健保が支払う額は266万円。後から高額医療費月次自己負担限度を超える部分が精算されるので、私の実質負担は30万円位で健保負担が350万円位になるだろう。それでも、これまで30年以上に亘り私が支払ってきた健康保険料合計よりはずっと少ないから、メタボ解消の特定保健指導の成果もなく発症してしまい、健保組合に多大なる迷惑を掛けたほどではないか。再発防止・生活改善に努め、会社健保在籍中に再び多大な支払いさせてしまうことは回避したい。また、入院1日5千円の会社共済に長年加入しているが、16日間8万円を極めて迅速に振り込んでくれた。

   その他の家計への影響としては、1か月の医薬品代が自己負担約5千円、病院再診費用は自己負担3千円程度か。年末までに5万円位の自己負担になるだろうか。そうすると、自分の保険共済で補てんされない医療費負担額は27万円程度だから医療費の所得控除は17万円となるので節税効果は2万円位か。子育てや住宅ローンが終わっている私にとってこの一時負担額は大きなことではないのでホッとした。

長期的な家計への影響として気になるのは、今後、会社欠勤による給与減少や病気再発防止のための担当業務制限で人事異動があって給与減少が生ずるかどうかである。定年退職まで残り2年9か月、会社の殆ど全ての部門に勤務経験があるので、業務上はどんな異動にも応じられる自信があるが、給与の減少が想定以上に早まることは心配である。更に永続的となる薬代と定期診療費等の医療費、加えて無塩の食品等を厳選することによる食費の増加もありうる。

  家族全体で見た場合、家内は千葉から宇都宮へ2回、仕事を休んで来た。その後、私の食事作りは従来よりも手間がかかるようになったはずだ。三人息子も半日早退して宇都宮まで来た。合計で4万円位、交通費がかかったはずだ。父母が香川から出てくることはなかったが、心配して家内に見舞金を送ったようだ。

 

第8章 展 望

拾ってもらった命である。長らえることを許された残りの時間を有意義に使いたいとの思いは日に日に強くなる。会社の仕事は少々の変化があっても、まだ体力面でもこれまで通り継続して勤務できる自信は戻った。今の自分は幸せなことに家族への心配もない。素のままの自分をお届けして喜んでもらえてきたボランティア活動でこれからも他人に元気が伝えられたら、それ以上は何も求めない。これを健康寿命の尽きるまで続けたい。

 

第9章 補 足

  私の心筋梗塞の狭窄部位について

 冠動脈は、心臓左側をカバーする血管が左側上部で1本から2本に枝分かれしたものと心臓右側をカバーして背中側に至る計3本が基幹となっている。私の場合、狭窄は左側が枝分かれした後の1本と右側の計2本(2か所)で起こっていた。もし左側が枝分かれする前で起こったら、即死の可能性があった。右側は背中側に回る処置が難しい位置で当初先生はこれをあとにしようとしたが、左の処置後すぐ私に発作が起こったので、その日に二回目の処置が行われた。

 狭窄の原因は悪玉コレステロールが血管内で固まった大プラークの剥離で、先に心臓の動きが不調になって血液中に大きな血栓ができて冠動脈をふさいだという脳梗塞のような機序ではない。もし、私が緊急搬送されなかったら、いずれ心臓の動きは変調し血栓が出来て脳に送られ脳に重大な梗塞を起こしていただろう。

 

  大プラークの剥離を招き、急性心筋梗塞を発症させた直接の行動について

悪玉コレステロール値、中性脂肪値の高止まり等メタボの状況が10年来、続いていたのだが、移動の多い放蕩な生活でも、今回のような決定的な発作は起こってこなかった。今回、大プラークが剥離した直接の原因を考察してみると、食生活で最近、旨み・辛味嗜好が増して従来より一層、高コレステロール食を過食していた。仕事面では出張業務の肉体的負荷に加え、自分のこれまでの実績を自分への精神的なプレッシャーにしてしまったこと。更にプライベートで原稿制作のお手伝いを夜間に行い、休日も千葉に戻ってボランティア教室講師を務める等のハードスケジュールの上に、仕事や各会場の移動の途中では急激に心拍数が上がるような荷物運びをせざるをえないハプニングがあったりしていた。一つ一つは自分の嫌いなことではないので、懸命にこなしていたのだが、ここ数年の自分の日常と比べると無理を通り越して、無茶な身体の使い方を連日していた。その8日目の朝、発作が起こった。

 

第10章 メッセージ

急性心筋梗塞は言うまでもなく三大疾病の一つ。発病から最も短時間で死に至る原因としては、脳のくも膜下出血か急性心筋梗塞が多いです。この体験記は私の急性心筋梗塞の状況を全く脚色せずそのまま記したものです。疑似体験によって、急性心筋梗塞の予防に繋がりますように願っています。以下にポイントを記します。

 

   まず、どんな人が発症するか。私のような人です。記したような健康診断結果や生活

  状況に加えて、血筋では、父方祖父は60年以上前に64歳で当時の心臓麻痺で死

亡。心臓カテーテル処置ができなかったら、私も同じだったと思います。父は91歳まで

極めて健康でしたが92歳の昨年、心臓ペースメーカーを埋め込みました。父方の血筋

として弱点は心臓です。やはり家系は影響します。健康診断結果、生活習慣と家系を

勘案して、私のような様子が垣間見える人は予防の生活改善をしましょう。

 

   発症の経済的な影響では、死亡・高度障害に備えて、遺族の生活、負債返済など

から見積もりましょう。入院に備えては健保に加入していれば入院そのものの一時的な

負担は相当部分カバーされます。しかし、病気によって従来の仕事に耐えられないとな

ると、収入面の減少が懸念されます。継続的な薬服用や受診、更には腎臓疾患の誘

発等による医療費負担増や、食事制限で食品の厳選が必要になっての食費増もあり

得ます。これらを勘案すると、やはり備えは充実しているほうがいい。最低としては、入院

時の一時金20万円位、退院後の医療費は毎月2万円の5年分位、つまり合計で140

万円位は急性心筋梗塞を含む三大疾病による入院等のリスクへの備えとして必要でし

ょう。

 

 急性心筋梗塞の発作はメタボ傾向の人には起こりえます。想定内に入れておくことが必要です。高脂血症などを10年位、放置しても急性の発作は起こらない人が大半かもしれません。でも起ってしまうと私のように生死をさまようことになります。痛み苦しみも尋常ではありません。

 

そんな発作が起こるのは、従来よりも食生活がコレステロール指向になり、日常生活よりも心臓に精神的ストレスをかけ、更に心拍数を上げ過ぎるような運動負荷をかけた後です。急にハッスルして無理に運動したような場合、その後には特に注意が必要です。

 

                                          以 上

 

 

○感想をお聞かせください。

 山地まさのり yyyyyyyyy1@ezweb.ne.jp

          080-5182-5907

          〒260-0805 千葉市中央区宮崎町529-89

 

 

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MCには人柄が現れる?

徳永英明コンサートに行きました。

以前から実演に接しておきたい人の一人ですし、病気での公演延期が

多いと聞いていましたので、機会あればと思っていましたら、

延期された公演のチケットが入手できました。

 

繊細な声を実際に聞けたこと以上に、曲間のおしゃべりが意表を

つく親しみやすい内容と間合いであることにひたすら感心しました。

おばさま達がメロメロになるのも無理はないと思います。本当に

母性本能を刺激するのですね。いくつになっても、というより

そのことで聴衆に若返りをよびおこしているのですね。

 

浜田省吾、玉置浩二、ASUKA、徳永英明、実演を聞いておきたか

った4人を聞くことができました。自分へのインプットはこれ位に

して、自分からのアウトプットの活動をスタートします。

 

お試しサングラス

浜省の曲を聴き続けてきました。

私が大きな影響を受けたミュージシャンは、ポールサイモン、浜田省吾、スティービーレイボーンの三人です。歌は玉置浩二です。

 

サングラスに憧れてきました。でも、自分には似合うものが無いと諦めてきました。

最近これに出逢いました。いかがでしょうか?

となりのトトロ

我が家の猫エースは爆睡中です。そのとなりには大トトロ。

となりのトトロをテーマソングにYAMASHOWの新たな展開ができるかもしれません。

Risa&YAMASHOWでも機会が頂けたら、うれしいです。宜しくお願いします。

健康スポーツ教室 記録カード

健康スポーツ教室では、こんな記録カードをお一人お一人にお渡しします。

 

一番一般的な筋力測定である握力を測定して記録していきます。握力なら各年齢・性別の平均値データがありますので、比較してみることも可能です。

 

健康体力づくりの最も難しい点は?

 

言うまでもなく続ける事ですよね。測定記録ごとに私が確認させて頂きます。山地まさのり印が6個たまったら、プレゼント進呈します。続けましょう!

これはなーに?

これはなーに?

 

皆様ご存知ですよね。血圧計です。健康体力づくり教室で使用しているものです。もちろんいつも正常な範囲にあることが理想ですが、そうはいかないですよね。実際、初めて参加された方がすぐに測定すると、これまでの自分の測定結果より高いとおっしゃることが多いですね。

 

本当にいろいろなことが関わりあって、その時の状況が数字で表されているのです。そんな関わり合いをできるだけ分かりやすくご説明しながら、ご参加の皆様の健康体力づくりを進めていっております。

我が家の玄関

帰宅すると、玄関で我が家の3姉妹が待っていてくれました。

 

フォルテ、エース、ゼルダ 皆18歳になりました。

 

我が息子3兄弟が生後間もなく拾ってきて以来18年、息子は3人とも独立していなくなり、残されたもの同士いつまでも仲良くしようね。