エピソード1.未来への約束に感動しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  千葉の老人ホームでギター歌謡ショーを行いました。

 よく演じているひとり紅白歌合戦のトリを瀬戸の花嫁にして

 歌いました。曲の紹介に瀬戸内は私(山地)の生まれ故郷

 と言いました。ショーが終わった時、車いすながらも色つや

 良くお元気そうなおばあちゃんが声を掛けてくれました。

 「瀬戸の花嫁良かったよ。私も瀬戸内生まれですよ。 また

 おいで下さいね。」、「ありがとうございます。また来られると

 思います。おばあちゃんも元気でね。」と、ただ反射的に

 答えました。おばあちゃんは「はい、元気でいるからね。」と

 約束してくれました。帰り際、施設の職員さんが来て「あの

 おばあちゃんは100歳です。市からもお祝いが来ました。

 次回まで元気でいると約束してくれましたね。」と言いました。

   後日その施設からご依頼を頂きました。「あのおばあちゃん

 の102歳のお誕生日が来月に迫りました。また来て下さい

 ね。お元気で待っておられますよ。」 100歳の方が未来へ

 の約束をしてくださいました。その意味の深さに心が震えま

 した。しかし、日程調整しての訪問日、おばあちゃんは脳

 梗塞で入院されていました。 

  CDやカラオケでなく生ギターを聴くのは私の演奏が最後に

 なる方もいると常に自覚しています。私は常に一生懸命に

 演奏することを決意しました。音楽テクニックとしては下手

 ですが、心のこもらない演奏は決して致しません。

 

エピソード2.懐かしいギター、感動は目と耳から心に届きます。

 

 

   高校1年の時、父が買ってくれたKヤイリ8万円のギターが

  私を育ててくれました。当時国産は10万円が最高でした

  からかなり上級です。それで私は上達できました。良い音

  なので学生時代は山地のギターを貸してくれという依頼も

  ありました。しかし、このギターを不注意で演奏中に落下

  させボディに亀裂を生じさせてしまいました。(この亀裂

  は後日Kヤイリの工場に持ち込んだところ無償で完璧に

  直してくれました。) このことで私はもう1本ギター歌謡

  ショー用のギターが必要と思い、岐阜市のビンテージ

  ギターショップを訪れたところ社長さんはギブソン ハ

  ミングバード1966年を勧めてきました。左手でネック

  を握った瞬間を今も忘れません。私の掌に吸いつくよう

  にぴったりだったのです。勇気を出して買いました。

  すぐにKヤイリ5本以上の価格に納得できました。演奏

  録音では自分が思うよりもうまく聞こえるのです。聴衆

  にギターに詳しい方がいればギター談議ができます。

  私が弱気にならないように背中を押してくれるギター

  なのです。

   このギブソンハミングバード1966年で演奏した二つの

  別々の老人ホームで、同じことがありました。ギターに

  詳しくない普通のおばあちゃんからこんな感想を頂いた

  のです。おばあちゃんは目が早く老いてしまい見えない。

  けれども耳はお達者ということで最前列にお座りでした。

  演奏が終わった後、「今日来たおいちゃんのギターは私

  が娘時代に聞いたギターの音がしてたよ。」 私は嬉しい

  と同時に気付きました。老いれば目も耳も悪くなります。

  でも、目が早く悪くなった時、耳はかばうために感覚が

  鋭くなることがある。

    私は、シニアの方々が電気的な処理の少ない時代に聞い

  た本物のギターの音をお届けしようと決心し、世界最高

  機種のマーチンD45 73年も使用しています。ハミング

  バード4本以上の価格ですが、日本のフォークミュージッ

  クが広まった頃の懐かしい音をお届けしています。

  反対に耳が遠くなっている方も多くいることに気づき、

  見て楽しんで頂けることも大切にしています。

エピソード3.感動は手術や薬を越えます。

 

     医療センターの玄関ロビーで演奏の機会を頂きました。

   当日は椅子30席の他、立ち席約20名、ロビーの奥の

   受付待合には更に大勢の人々がいて、見聞頂きました。

   病院ロビーにはグランドピアノがあり今までの演奏は

   ピアニストのみだったそうです。そこに私がギターで

   乗り込んでしまったのです。配慮して柔らかなセミアコ

   ES-335の音を響かせ、ふくよかに歌いました。

   予想以上に好評でイベント担当の職員さんから、ギター

   もいいわね。また、おいで下さいと合格点を頂きました。 

    その帰り際、3人の中年男性から次々に声を掛けら

   れました。3人とも内容的には同じでした。「演奏あり

   がとう。俺も前はギター弾いて歌ってたよ。おめえより

   うまいかもしれないよ」、こんな声を掛けてくる人は大体

   ギターがとても上手です。「じゃあ、今度は一緒にやり

   ましょう。」と答えると、「でも、もう末期がんだからな。

   手術も済んだ。薬もしこたま飲んだ。おめえの弾いてる

   のを見たら思い出した。」、よく見ると涙が今にも一筋

   ほほを流れそうでした。私は、こんなおっさん達の涙など

   見たくないやと思いつつ、自分も涙目になってしまい

   ました。「でも、今まだ体が動くんだからギター位弾け

   ますよ。今度は一緒にね。」というと、「分かった。今度は

   一緒にな。生きとくからな。」と言ってくれました。 

    私はこの日決心しました。この活動を自分の体が動く

   限り続けます。手術も薬も済んだ人が、私を待つことで

   1日でも長生きしてくれたら、山地まさのりギター歌謡

   ショーには手術や薬を超える効能があると信じることに

   したのです。

エピソード4.ご縁を受け継いでまいります。

  

    山地まさのりギター歌謡ショー(YAMASHOW)ステージ

   用の着物を頂きました。だいぶ前に訪問した自治会の

   幹事さんから連絡があり、尋ねました。

       その方はYAMASHOW お届けの時、絶賛してください

   ました。仕事の傍ら大変よくやっていると。 

        改めてお聞きすると、何とその方も60歳位から劇団で

   老人ホーム慰問など多くの経験があるそうです。その

   活動の理由というか原点は、戦後の混乱で生き別れに

   なったお母さんが何処かのホームに身を寄せてい

   るかもしれないと思ったからだそうです。 

         その方も80を超え、ボランティアの慰問はもうされていま

   せん。でもYAMASHOW を見て、少しマシな着物を着せて

   やらなあかんと思い、私に譲ることにしたとのことでした。

   その方がお母さんへの思いと共に各地を訪れたステー

   ジ衣装、山地まさのりが受け継いで参ります。

      もし、どこかでYAMASHOW にご縁がありましたら、どう

   かよろしくお願いします